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さいたま市北区の観光案内にあった三貫清水・旧鎌倉街道に行ってきました。
アクセスはJR宮原駅の西口から別所団地循環バスで「奈良町南」か「北高入口」で降りると徒歩で2分くらいで現地につきます。
旧鎌倉街道が南北に300mほど状態良好で保存されていてその一角に三貫清水があります。
三貫清水は、太田道灌がこのあたりに狩りに来た時に、付近の村人が三貫清水の泉を汲んでお茶を出したところ太田道灌がその味を褒めて、三貫の褒美を下したことから名前がつきました。
ちなみに太田道灌とは、室町時代の武将です。
戦国時代は16世紀初頭から始まりますが、関東地方はそれより前の15世紀中期から戦乱に明け暮れていてその時期に活躍したのが太田道灌です。
太田道灌は関東管領家の一角である扇谷上杉氏の家宰でした。
家宰とは、筆頭家老のような位置づけで扇谷上杉の家臣の中でも、最も力を持っていました。
当初は、品川に近い高輪あたりに館を構えていましたが、江戸城・岩槻城・川越城を築城して主家勢力拡大に貢献しています。
享徳の乱や長尾景春の乱などの関東地方を転戦して数々の武功を上げています。
特に関東地方を戦乱に巻き込んだ長尾景春の乱では、30回ほどの戦を行い扇谷上杉氏の窮地を救っています。
そんな太田道灌の活躍に主家としての立場が危ういと感じた上杉定正に本拠である糟屋館に呼び出された際に入浴中に暗殺されました。
旧鎌倉街道は、東側が土塁のようになっていて西側がちょっとした崖のようになっています。
木々に覆われた道が続いていて、当時のように保存されているのか分かりませんが歴史が感じられます。
鎌倉街道は、鎌倉幕府の頃に鎌倉を中心とした街道で鎌倉から高崎方面に抜ける上道、宇都宮方面に抜ける中道、千葉方面に抜ける下道が主幹線となっていたそうです。
このあたりは、上道の所沢から中道の加須を結ぶ羽根倉道と呼ばれた支線の一部だったようです。
西側には、湿地帯が広がっていてその先には鴨川が流れています。
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