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難波田城公園 中世の武士である難波田(なんばた)氏の居城跡

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難波田城とは、中世に活躍した難波田氏の居城跡で、荒川低地の一角に築かれた平城です。
城域は、5万平方メートル以上とされていてその約3割を整備して「難波田城公園」として開放されています。

難波田城公園は、城跡ゾーンと古民家ゾーンに分かれていて、二つのゾーンの真ん中に資料館があります。

難波田氏は、平安時代末期の武士団である「武蔵七党」の一つである村山党から派生した一族です。
鎌倉初期の承久の乱で討ち死にした金子小太郎高範の子孫が、南畑と呼ばれるこの付近の土地が与えられました。
南畑の文字を換えて「難波田」と名乗るようになったそうです。

難波田弾正善銀の頃には、扇谷上杉氏の重臣となってましたが、その頃に起きた河越夜戦に参加し難波田弾正善銀は討ち死にしました。
難波田城は、北条氏の家臣上田氏の所領となりましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅ぼされた際に廃城となっています。

難波田氏の子孫は、扇谷上杉氏が滅亡後は、北条氏に仕え、北条氏滅亡後は徳川氏に仕え江戸時代には旗本として家は残ったそうです。

本曲輪にある難波田城跡の石碑。

復元された追手門。
城の正面の門で、冠木門に屋根をかけた棟門という形式です。

駐車場入り口にある冠木門です。

難波田城は、三重の堀と土塁で造られた平城でした。

城跡は、往時の土塁や堀などではなくキレイに整備され過ぎているみたいですね。

古民家ゾーンには、富士見市内にあった旧鈴木家表門、旧大澤家住宅、旧金子家住宅などが集められています。

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