岩槻城は江戸城などを築城した太田道灌が作ったと言われる城で沼地の上の平城でした。
1590年の豊臣秀吉の関東征伐で豊臣方に5月20日から攻撃されて2日で落城しています。
現在は、主郭の部分などは宅地化進んでいて遺構は残っていませんが、新曲輪、鍛冶曲輪付近が
比較的遺構が残っていて公園となっています。
岩槻城の黒門です。岩槻城内から移設されたものですが元々どこにあったかは不明なようです。
岩槻城のの裏門です。これも移設されたもので、建築されたのは18世紀頃のようです。
土塁や空堀跡は公園内の所々にあります。